近藤勇の首はどこへ
私は幕末の歴史が好きで新選組ファンである。
2013年には京都に行き、八木邸、前川邸、壬生寺、角屋、高台寺、京都御所(蛤御門)、池田屋跡、伊東甲子太郎最期の地などを拝んできたマニアである。
八木邸はツアーガイド付きで見学したが、私以外の若い男性5人衆全員が新選組コスプレ(浅葱色の袴姿)をしていたのを覚えている。
今回の話題はそんな新選組の局長近藤勇の話。
新選組の近藤勇の最期は東京の板橋の処刑場で処刑された。処刑されたあたりとされる場所には新選組の生き残り永倉新八が発起人となって作った墓がある。
上の写真は実際に私が2014年に東京に行って撮ってきたときのもの、板橋駅のローターリーを抜けてすぐのところにある。
きれいに清掃されており、厳かな空気が流れていた。
ちなみに発起人の永倉新八のお墓も近くにあった。
板橋で処刑されたあと彼の首は京都の三条河原でさらされた。当時の瓦版の絵は新選組ファンなら見たことあると思う。
その後の首は誰かによって持ち去られ、今も見つかっていない。そしてその首は愛知県の法蔵寺に埋められたという説がある。名古屋から1時間ちょっとの場所、ということで法蔵寺に行ってみた。
法蔵寺
法蔵寺は岡崎市にあるお寺。徳川家康が幼少の頃にここで習い事をしたらしい。徳川家康の影響が強いお寺に、新選組局長の首が密かに運ばれ託される。ありそうな話である。
この法蔵寺は非常に由緒正しい歴史あるお寺であるが、幸いにして観光地にはなっていない。自分みたいな新選組のファンが日に数人訪れるくらいだ。
私が行ったときも私以外誰もおらず、静かであった。
本堂の前には立派な山門がある。この山門もおそらく当時から大事にされてきたものだと思う。歴史を感じさせる。
敷地は思ったより広い。竹藪側にはお墓があったが、徳川家(松平家)の関係者らしい。あと立派な東照宮があった。徳川家との深いつながりを感じさせる。
高台に近藤勇の石碑がある。ここが首塚とされている場所だ。近藤の首塚がこの辺りにあるという話で実際に調査が行われたそうだ。その際に新選組の関係者の名前が刻まれたこの石板が埋められているのが発見された。
ただし首は見つからなかった。
石板は近藤の像の右隣にある。上の写真の三段の石の一番下にあるものが石板だ。確かに薄っすらと名前が刻まれているのが分かる。一番右側に土方歳三の名前が刻まれているのだが、花が手向けられてあったのでそのままの状態で撮影した。
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